イザナギとイザナミの国生み・黄泉の国神話――神々の誕生から黄泉戸喰の禁忌、千引の岩の別れへ
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天地が初めて開けた太古の原初、天と地はまだ明確に分かたれず、泥水のように油が漂い、クラゲのように漂う混沌の世界であった。その無限の静寂のなかから高天原(たかまのはら)に神々が現れ、やがて地上の国土を形作るため、天の神々から一対の男女神へと神聖な使命が託された。男神「イザナギ(伊邪那岐命)」と、女神「イザナミ(伊邪那美命)」である。
『古事記』冒頭を飾る「国生み」と「黄泉の国」の神話は、国土と神々の誕生、そして「生と死」の境界の起源を解き明かす日本神話の原初的叙事詩である。
二柱の神は、天と地を結ぶ虹の架け橋「天の浮橋(あめのうきはし)」に立ち、神々から授かった宝玉で飾られた矛「天の沼矛(あめのぬぼこ)」を混沌の青海原へと突き立てた。「こおろ、こおろ」と音を立てて掻き回し、引き上げた矛の切っ先から滴り落ちた塩の雫が凝り固まって、地上最初の島「オノゴロ島」が誕生した。
愛し合い、手を取り合って美しい島々と神々を次々と生み出していった夫婦神。しかし、その幸福な創世の神話は、やがて火の神の出産による悲劇的な死、そして死者の国での凄惨な決別という、誰もが息を呑むダークな展開へと急転直下していく。生と死、愛と憎悪、光と闇――。人類最古の神話的テーマが凝縮されたイザナギとイザナミの物語の深層に迫る。

天の沼矛とオノゴロ島――天の御柱を巡る二柱の神の誓いと国生み
オノゴロ島へと降り立ったイザナギとイザナミは、天に届く壮大な柱「天の御柱(あめのみはしら)」と、神聖な御殿を建てた。そして二柱は、地上に新たな国土を生み出すため、神聖な婚姻の儀式を執り行うこととした。
イザナギが「そなたの体はいかに成り成れるか」と問うと、イザナミは「我が身は成り成りて、成り合わざる処一処あり」と答えた。イザナギは「我が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。この我が身の余れる処をもちて、そなたの身の合わざる処を刺し塞ぎて、国土を生み成さむと思う」と応じ、生命誕生の真理を高らかに宣言した。
二柱は天の御柱を巡り契りを結ぶが、最初に女神イザナミから声をかけたため不具の子ヒルコが生まれ、葦船で海へ流した。占いで「女から先に声をかけたことが凶」と告げられ、今度は男神イザナギから声をかけて契りを結び直した。
こうして誕生したのが、日本の国土「大八島国(おおやしまぐに)」である。淡路島を皮切りに、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして本州。さらに島々を取り巻く無数の小島が生み落とされ、海に浮かぶ美しい日本列島の原風景がここに完成したのである。

火の神カグツチの悲劇と母神の死――黄泉の国への決死の下降と禁忌の灯火
国土を生み終えた二柱は、続いて山、川、海、風、樹木、草など、地上の万物を司る森羅万象の神々を生み出していった。しかし、神生みのクライマックスにおいて、絶対的な悲劇が訪れる。
火の神「カグツチ(迦具土神)」を出産した際、女神イザナミはその猛烈な火によって火傷を負い、激しい苦痛のなかで病床に伏してしまったのである。壮絶な苦悶の末、母なる女神イザナミはついに息絶え、死者の世界である「黄泉の国」へと旅立ってしまった。
愛妻を失ったイザナギは慟哭し、十拳剣でカグツチの首をはねた。その血からも武神タケミカヅチら多くの神々が生まれた。しかし、復讐を果たしても妻への狂おしい恋慕は消えなかった。イザナギは禁忌を破り、死者の霊魂が住まう暗黒の地下世界「黄泉の国」へと、自ら妻を連れ戻すために降りていったのである。ギリシャ神話のオルフェウスが冥府へと妻エウリュディケを救いに行く物語とも重ねて語られる、冥府下り神話の開幕であった。

黄泉の国の決別――黄泉比良坂における千引の岩
暗黒の黄泉の国の御殿の扉越しに、イザナギは愛する妻に呼びかけた。「愛しき我が妻よ、私とそなたが生み出すべき国はまだ未完成である。どうか戻ってきておくれ」。扉の奥からイザナミの声が静かに返ってきた。「悔やまれます。あなたがもっと早く来てくださらなかったことが。私はすでに黄泉の国の竈(かまど)の食べ物を食べてしまいました(黄泉戸喫・よもつへぐい)。しかし、愛するあなたが来てくださったので、黄泉の神と相談して戻れるよう計らいましょう。その間、決して私の姿を見ないでください」。
そう言い残して奥へと消えたイザナミを、イザナギは待ち続けた。しかしあまりの時間の長さに耐えかねたイザナギは、禁を破り、自らの髪に挿していた湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の太い歯を一本折り取り、火を灯して暗闇の中を覗き込んでしまったのである。そこで彼が目撃したのは、この世の光景とは思えぬおぞましい姿であった。かつて美しかった妻の身体は腐乱して蛆(うじ)が湧き、その身には八柱の「八雷神(やくさのいかづちがみ)」が宿っていた。「私に恥をかかせたな!」――怒り狂ったイザナミは黄泉の軍勢を放ち、逃走するイザナギを追撃させた。
イザナギは葡萄や筍、桃の実を投げて追手を退け、黄泉比良坂の出口を千人がかりで動かす巨石「千引の岩」で塞いだ。巨岩を挟んで対峙した元夫婦神の間で、永遠の別れの言葉が交わされた。イザナミが叫んだ。「愛しき我が夫よ、そなたがこのような仕打ちをするなら、私はそなたの国の人間を一日に千人絞め殺しましょう」。イザナギが毅然と返した。「愛しき我が妻よ、そなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋(うぶや)を建てて生命を生み出そう」。この瞬間、「一日に千人が死に、千五百人が生まれる」という生と死のサイクルが決定づけられたのである。
筑紫の日向の禊と三貴子の誕生――死と穢れを乗り越えた生の肯定
死の国から命からがら生還したイザナギは、我が身の恐ろしき穢(けが)れを痛感していた。「私はひどく醜く穢らわしい国へ行ってしまった。我が身の穢れを清めねばならない」。彼は九州の筑紫の日向(ひむか)、橘の小門の阿波岐原(あわきはら)へと向かい、清らかな海水に身を浸して神聖な「禊(みそぎ)」を行った。衣服や装飾品を脱ぎ捨てるたびに新たな神々が生まれ、海の底、中程、水面で体を洗うことで、災厄を司る神とそれを祓い清める神々が誕生した。これが、神社神道における「祓い・清め」の儀礼の原点とされる。
そして禊の最後、日本神話の最高神たちが誕生する。イザナギが左の目を洗うと、太陽の女神「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」が輝き出た。右の目を洗うと、月の男神「月読命(ツクヨミノミコト)」が静かに現れた。そして鼻を洗うと、荒ぶる嵐と海の神「須佐之男命(スサノオノミコト)」が猛々しく誕生した。喜んだイザナギは、この三柱を自らの最も貴き子「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と称え、天の支配、夜の支配、海原の支配を託したのである。
死と腐敗、恐怖の暗闇をくぐり抜けた果てに、清らかな水によって新たな生命と光が再生する――。イザナギとイザナミの神話が現代の私たちに伝えるのは、死を忌み嫌うだけでなく、死の闇を受け止めた上でなお、それを凌駕する生命の力強さを肯定する古代日本人の死生観である。千引の岩によって隔てられた生と死のあわいに立ちながら、私たちは今日も、日々新たに生まれる命の奇跡の中に生きているのである。
森の灯りの作品で楽しむ日本の歴史
混沌の海から島々を生み出したイザナギとイザナミの愛、黄泉の国の壮絶な決別を越えて結実した禊の儀礼、そして天照大御神ら三貴子の神聖な輝き――。日本神話の壮大な始まりの物語は、私たちの心の奥底に眠る原初の生命力と清らかな祈りを優しく呼び覚ましてくれます。森の灯り(Mori no Akari シリーズ)では、日本の神々や神話の神秘的な世界をご自身の手で美しく再現できるアート作品をお届けしています。
参考資料・出典
- 倉野憲司校注『古事記』岩波文庫、1963年
- 神野志隆光『古事記の世界観』吉川弘文館、1986年
- 西郷信綱『古事記注釈』平凡社、1975年
- 上田正昭『日本の神話』岩波新書、1970年
- 松前健『日本神話の形成』塙書房、1970年