仏・菩薩・明王 塗り絵 3枚セット 01(見本付き)

狛犬と唐獅子の図像学――古代オリエントからシルクロードを経て神社の聖域を守る「阿吽」の結界へ

鎮守の森の深い木立を抜けると、朱塗りの鳥居の足元に、苔むした一対の石造りの獣が厳かに鎮座している。参道の右側には、力強く口を大きく開けて咆哮する獣。左側には、口を固く結び、頭上に小さな一本の角を戴いた獣――日本の神社を訪れる者なら誰もが目にする聖域の守護神、「狛犬(こまいぬ)」と「獅子(しし)」である。

現代では両者をまとめて「狛犬」と呼ぶのが一般的となっているが、本来この一対は、姿も出自も異なる二つの聖なる獣であった。向かって右側の口を開いた獣が「獅子(唐獅子)」、左側の口を閉じて角を持つ獣が「狛犬(高麗犬)」である。

二頭の獣が織りなす「阿(あ)」と「吽(うん)」の呼吸。それは宇宙の始まりと終わり、呼気と吸気、生と死を象徴する密教的な神聖原理であり、参拝者の心身を祓い清めると同時に、神域に侵入しようとする邪悪な魔物を絶対的に遮断する「生きた結界」の役割を果たしてきた。

しかし、そもそも日本列島には野生のライオン(獅子)は生息していない。なぜ異国の猛獣が、これほどまでに日本人の信仰生活の根幹に溶け込み、八百万の神々の守護者として全国津々浦々の神社に祀られるようになったのか。その起源を辿ると、遠く古代オリエント文明の王権神話からシルクロードを越える仏教の伝来、平安宮廷の儀礼調度、そして桃山・江戸時代の豪壮華麗な美術工芸に至る、壮大な文明交流の足跡が浮かび上がってくるのである。

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オリエントの百獣の王からシルクロードへ――スフィンクス・ペルシャ・アショカ王柱の旅路

狛犬と獅子の遥かなる源流は、古代オリエントおよびインド文明にまで遡る。古代メソポタミアや古代エジプトにおいて、獰猛な牙と圧倒的な力を誇るライオンは「太陽の化身」であり、神と王権を守護する最強の聖獣として崇められた。エジプトのギザの大スフィンクスや、アッシリア・バビロニアの宮殿ゲートを護る有翼の獅子像(ラマッス)は、邪悪を打ち払う神聖な番獣(ガーディアン)の最古の原型である。

この百獣の王の図像は、古代インドの仏教美術において決定的な精神的意味を獲得する。釈迦牟尼は「仏中の獅子(百獣の王のように何ものにも恐れず真理を説く者)」と讃えられ、仏の説法は悪魔を打ち砕く「獅子吼(ししく)」と呼ばれた。紀元前3世紀、マウリヤ朝のアショカ王が建立した有名な「アショカ王柱」の頂点には、四方を睨みつける四頭のライオン像が刻まれ、仏法が世界の四方に広がる守護シンボルとなったのである。

仏教の東漸とともに、ライオンの図像はシルクロードのオアシス都市を経て中国へと伝来した。当時、中国にもライオンは生息していなかったが、ペルシャなど西域諸国からの朝貢品としてライオンが献上されると、古代中国人はその超自然的な威容に驚嘆し、龍や鳳凰と並ぶ瑞獣として「獅子(しし)」と名付けた。こうして仏の台座を守る仏教彫刻の獅子は、中国独自の豊かな巻毛や力強い筋肉表現を獲得し、東アジアの霊獣「唐獅子(からじし)」へと進化を遂げたのである。

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平安宮廷の「獅子と狛犬」――几帳の重石から角を持つ霊獣と開口の阿吽へ

日本への伝来は、飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教公伝とともに始まった。当初は仏像の台座の左右に配される小さな金銅や木彫のライオン像であったが、平安時代に入ると日本独自の劇的な展開を見せる。平安宮廷における「調度品」としての定着である。

平安時代の貴族社会において、殿舎の風を遮りプライバシーを守る絹布のカーテン「几帳(きちょう)」や御簾(みす)の裾が風でめくれるのを防ぐため、重石(文鎮)として一対の木彫の獣が用いられた。このとき、左右の獣に明確な図像的区別が与えられたのである。

  • 左座(向かって右):黄色(金色)で口を開けた「獅子」。角はない。
  • 右座(向かって左):白色で口を閉じ、頭上に一本の角を持つ「狛犬」。

狛犬という呼称は、高麗(朝鮮半島)を経て伝えられた犬、あるいは「拒魔の犬(魔を拒む神聖な犬)」に由来するとされる。角を持つ狛犬の姿は、古代中国の伝説の霊獣「獬豸(かいち・善悪を見分ける一角獣)」の要素が融合した日本独自の創作であった。

さらに、南都の仏教文化と結びつくことで、口を開けた獅子が「阿(万物の始まり)」、口を閉じた狛犬が「吽(万物の帰着)」を表す「阿吽の呼吸」の教義が確立された。宮中の清涼殿(天皇の御座所)の御帳台(みちょうだい)を守る守護獣として重用された獅子・狛犬は、やがて中世以降、神仏習合の進展とともに神社の社殿内、そして屋外の参道へと進出していくこととなるのである。

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桃山・江戸の絢爛たる美術美学――狩野永徳『唐獅子図屏風』と神社参道の民俗造形

中世から近世へと時代が移ると、獅子・狛犬は魔除けの宗教的シンボルにとどまらず、日本美術史を彩る華麗な美の主題として大輪の花を咲かせた。その頂点に君臨するのが、安土桃山時代を代表する宮廷絵師・狩野永徳(かのうえいとく・1543〜1590年)の『唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)』である。縦二メートル余り、横四メートルを超える巨大な総金箔の画面の中を、二頭の筋骨隆々たる巨獅が力強く闊歩する。燃え盛る火炎のように逆立つ巻毛の鬣(たてがみ)、鋭利な爪、そして大地を揺るがすような眼光。織田信長や豊臣秀吉ら天下人の圧倒的な覇気と権力を象徴するかのような豪壮無比な造形美は、唐獅子を「武威と王者のシンボル」へと決定的に昇華させた。

日光東照宮の陽明門をはじめとする近世寺社建築の彫刻においても、唐獅子は極彩色の名脇役として無数に刻まれた。牡丹(ぼたん)の花とともに描かれる「獅子に牡丹」の意匠は、百獣の王である獅子と百花の王である牡丹が響き合う吉祥の極致とされ、さらに獅子の体に巣食う害虫を殺す牡丹の露という共生伝承とも結びついた。

江戸時代中期以降、平和な世の中で石工(いしく)の技術が全国に普及すると、神社参道に石造りの狛犬を奉納する庶民の風習が爆発的に広まった。江戸の町で流行した躍動感ある「江戸尾立(えどおだち)狛犬」、子供を足元で遊ばせる「子取り狛犬」、玉を抱く「玉取り狛犬」など、地域ごとの温かみとユーモアを湛えた多彩な民俗彫刻が全国各地に誕生したのである。

阿吽が結ぶ祈りの宇宙――目に見えぬ境界を守り続ける不滅の守護神

神社の鳥居をくぐり、狛犬の前を通り過ぎるとき、私たちは日常の喧騒から切り離され、張り詰めた神聖な空気へと足を踏み入れる。数百年、時に千年以上もの風雪に耐え、苔を纏いながら参拝者を静かに見下ろす狛犬と獅子。彼らは決して言葉を発しない。しかし、その開かれた口(阿)と結ばれた口(吽)は、私たちがこの世に生を受けて最初に発する産声から、息を引き取る瞬間の沈黙に至る人生の全行程を包み込むように、優しく、そして峻厳に見つめ続けている。

古代ペルシャの砂漠からシルクロードを越え、日本人の豊かな自然観と神仏習合の心によって育まれた狛犬と唐獅子。異国の猛獣を神聖な守護神へと変容させ、目に見えぬ魔を祓う結界として昇華させたその造形美には、外来の文化を柔軟に受け入れ、自らの精神風土のなかで至高の芸術へと磨き上げてきた日本文化の深い包容力が結晶しているのである。

森の灯りの作品で楽しむ日本の神仏の世界

神社の鳥居に佇む狛犬と唐獅子の阿吽の呼吸、そして古代から続く守護の祈り。森の灯りでは、日本の仏・菩薩・明王の世界を、ご自身の手で美しく彩ることができる作品をお届けしています。Mori no Akari シリーズの仏・菩薩・明王の塗り絵は、色鉛筆の見本付きのダウンロード版です。

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参考資料・出典

  • 上杉千尋『狛犬事典』戎光祥出版、2001年
  • 近藤好和『中世武家の調度と故実』吉川弘文館、2005年
  • 狩野博幸『狩野永徳』至文堂、1995年
  • 京都国立博物館編『社寺の動物たち』1997年
  • 伊藤清司『中国の神獣・悪鬼たち』東方書店、1986年

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